語録提唱

語録提唱

伝心法要 第三十

2018-03-3

身心自然に道に達し心を識って本源に達するが故に、号して沙門と為す。沙門の果とは慮を息めて成ず。学に従って得るにあらず。汝如今心を将って心を求め、他の家舎に傍(よ)って、祇、学取せんと擬す。什麼(なん)の得る時かあらん。古人は心利(さと)くして纔に一言を聞いて便乃(すなわ)ち絶学す。所以に呼んで絶学無為の閑道人と作す。 身心自然に道に達し心を識って本源に達するが故に。 いつも言っています様に、我々はすでに悟りのど真ん中にいます。救われた後の姿です。ただ、なかなかそれが分からない。悟っている自分というのに気が付かない。この体と心をもって、自然に道に達し。この自然にというのが大切なところです。これか...

伝心法要 第二十九

2018-02-3

道に方所無きを大乗心と名づく。此の心は内外中間に在らず。実に方所無し。第一に知解を作すことを得ざれ。祇、是れ汝如今の情量の処を説くのみ。情量若し尽きなば、心に方所無し。此の道は天真にして本(もと)名字無し。祇、世人知らずして迷うて情中に在るが為に、所以に、諸仏出来して此の事を説破す。汝諸人の了せざるを恐れて、權(かり)に道と名を立つ。名を守って解を生ずべからず。故に云く、魚を得て筌(せん)を忘ずと。 道に方所無きを大乗心と名づく。 道というものには方向も無ければ、場所もない、これが大乗の心である。 此の心は内外中間に在らず。 心とは何かというのは、悟りとは何か、仏とは何か、本来の自分とは何かと...

伝心法要 第二十八

2018-01-23

云く、既に是れ問処に自ら顛倒を生ぜば、和尚の答処は如何。師云く、汝且く物を将って面を照らして看よ。他人を管すること莫れ。又云く、祇、箇の癡狗の如くに相似たり。物の動ずる処を見て便ち吠ゆ。風草木を吹くも也(ま)た別ならず。又云く、我が此の禅宗は上より相承して巳来(このかた)、曾て人をして知を求め解を求めしめず。祇、学道と云うすら早く是れ接引の詩なり。然して道も亦学すべからず。情に学解を存せば、却って迷道となる。 云く、既に是れ問処に自ら顛倒を生ぜば、和尚の答処は如何。 私の質問の仕方が間違えているのなら、和尚の答え方はどうなのでしょうか。 師云く、汝且く物を将って面を照らして看よ。 あなたは鏡で...

伝心法要 第二十七

2017-12-4

問う、纔(わずか)に和尚の処に向かって言を発すれば、什麼(なん)としてか便ち話堕(わだ)と道うや。師云く、汝自ら是れ語を解せざるなり。人に什麼の堕負(だふ)か有らん。 問う、向来如(そ)許多(こばく)の言説は皆是れ抵敵の語なり、都て未だ曾て実法の人に指示するものあらず。師云く、実法に顛倒なし、汝今問処に自ら顛倒を生ず。什麼の実法をか覓めん。 問う、纔に和尚の処に向かって言を発すれば、什麼としてか便ち話堕と道うや。 私があなたに何の質問をしても、なぜ和尚は話堕、言葉に落ちたと言うのですか? 禅の本質に関わるような質問をしても禅師は話堕せり、また理屈に落ちた、言葉に落ちたと答えるのは何故でしょうか...

伝心法要 第二十六

2017-08-14

云く、是の如くならば、則ち渾(すべ)て断絶と成る、是れ無なるべからずんや。師云く、阿(だ)誰(れ)か他をして無ならしめん。他は是れ何(だ)誰(れ)ぞ、汝他を覓めんと擬すや。云く、既に覓むることを許さず、何が故ぞ又他を断ずること莫れと言うや。師云く、若し覓めずんば、便ち休む。即ち誰か汝をして断ぜしむ。汝目前の虚空を見んに作麼生(そもさん)か他を断ぜん。云く、此の法便ち虚空に同ずることを得べけんや、否や。師云く、虚空早晩(いつ)か汝に向かって同あり異ありと道うや。我暫く此の如く説くに、汝便ち者(しゃ)裏(り)に向かって解を生ず。云く、応に是れ人の与に解を生ぜざるべけんや。師云く、我曾て汝を障えず。...

伝心法要 第二十五

2017-08-14

問う、如何なるか是れ道、如何が修行せん。師云く、道は是れ何物ぞ、汝修行せんと欲するや。問う、諸方の宗師相承して参禅学道するは如何。師云く、鈍根人を引接する語なり。未だ依憑すべからず。云く、此れ既に是れ鈍根人を引接する語ならば、未審(いぶかし)、上根人を接するに復何れの法を説くや。師云く、若し是れ上根人ならば、何処にか更に人に就いて他を覓めん。自己すら尚お不可得なり、何ぞ況や更に別に法あって情に当たらんや。見ずや、教中に云く、法法何の状ぞと。云く、若し此の如くんば、都て求覓(ぐべき)を要せざらん。師云く、若し与麼(よも)ならば則ち心力を省く。 今回からしばらく、裴休が質問をして、それに黄檗禅師が...

伝心法要 第二十四

2017-08-2

如来世に現じて一乗の真法を説かんと欲すれども、即ち衆生信ぜずして、謗(そしり)を興して苦海に没す。若し都て説かずんば則ち慳貪に堕せん。衆生の為に溥(ひろ)く妙道を捨てずして、遂に方便を設けて三乗ありと説く。乗に大小有り、得に浅深有るは皆本法に非ず。故に云わく、唯だ一乗道のみありて、余の二は則ち真に非ずと。然れども終に未だ一心の法を顕わすこと能わず。故に迦葉を召して法座を同じうして、別に一心の言説を離れたる法を付し、此の一枝の法をして別に行ぜしむ。若し能く契悟せば、便ち仏地に至らん。 如来世に現じて一乗の真法を説かんと欲すれども、即ち衆生信ぜずして、謗を興して苦海に没す。ここでいう如来はお釈迦様...

伝心法要 第二十三

2017-05-31

言わゆる同じく是れ一精明、分かれて六和合と為ると。一精明とは一心なり。六和合とは六根なり。此れ六根各々塵と合す。眼は色と合し、耳は声と合し、鼻は香と合し、舌は味と合し、身は触と合し、意は法と合して、中間に六識を生ずれば、十八界と為る。若し十八界所有無しと了ぜば、六和合を束ねて一精明と為す。一精明とは即ち心なり。学道の人皆此れを知れども、但、一精明六和合の解を作すことを免るる能わず。遂に法に縛せられて本心に契わず。     言わゆる同じく是れ一精明、分かれて六和合と為ると。 般若心経に無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界乃至無意識界という一節があります。あれが十八界です。十...

伝心法要 第二十二

2017-05-31

如来法を迦葉に付してより巳(この)来(かた)、心を以って心を印して、心心異ならず。印を空に著(つ)かば、即ち印は文を成さず。印を物に著かば、即ち印は法を成さず。故に心を以って心に印して、心心異ならず。能印所印倶に契会し難し。故に得る者少なし。然も心は即ち無心ならば、得も即ち無得なり。 仏に三身あり、法身は自性虚通の法を説き、報身は一切清浄の法を説き、化身は六度万行の法を説く。法身の説法は言語音声形相文字を以って求むべからず。所説無く所証無く、自性虚通なるのみ。故に曰く、法の説くべき無き、是を説法と名づくと。報身化身は皆機に隨うて感現し、所説の法も亦事に隨い根に応じて、以って接化を為す。皆真法に...

伝心法要 第二十一

2017-05-31

凡そ人多く境に心を礙えられ、事に理を礙えられると為して、常に境を逃れて以って心を安んじ、事を屏(しりぞ)けて以って理を在らしめんと欲す。乃ち是れ心が境を礙え、理が事を礙うることなるを知らず。但、心をして空ならしめば、境自ずから空なり。但、理をして寂ならしめば事自ずから寂なり。倒(さかし)まに用心すること勿れ。凡そ人多く心を空ずることを肯(うけが)わず。空に落ちんことを恐れて、自心本空なるを知らず。愚人は事を除いて心を除かず。智者は心を除いて事を除かず。 菩薩は心虚空の如くにして一切倶に捨し、作るところの福徳、皆貪著せず。然るに捨に三等あり。内外身心倶に捨し、能所皆忘ぜば、是を大捨と為す。若し一...