信心銘 第四

語録提唱

信心銘 第四

2018-11-14

二見に住せず 慎しんで追尋すること勿れ
纔(わずか)に是非有れば 紛然として心を失す
二は一に由て有り 一も亦(また)守ること莫れ
一心生ぜざれば 万法咎(とが)無し
咎無ければ法無し 生ぜざれば心ならず
能は境に随って滅し 境は能を逐うて沈す
境は能に由て境たり 能は境に由て能たり
 
二見に住せず 慎しんで追尋すること勿れ
二見というのは分別された見方です。相対的見方です。善悪、生死、上下、男女。ここは二見の世界です。その相対的な見方をやめる。
一心が分別により分かれてしまう。そうするとこの世界が展開する。その二見の相対世界を離れる。
追いかけたり求めたりする事をやめる。追うも求めるも、すでにその対象があり、こちらには主観もある。
分別された後である。二見の住人です。
 
纔に是非有れば 紛然として心を失す
少しでも分別心、判断、見解、見方などがあれば、世界がバラバラに展開して、本心を見失ってしまう。
 
二は一に由て有り 一も亦守ること莫れ
相対というのは、絶対に基礎を置いている。一心、絶対が分かれて相対になる。この世界が展開するのも、相対に分かれるからです。二見は一心の分かれたもの。
その一心も守る事なかれ。まあ、空に座り込まない。空の体験をしたら、さっさと働きに出る。相対も、空も守らない。
 
一心生ぜざれば 万法咎無し
この一心に本当に徹すれば、禅は卒業です。ですから一心が生ずという事は、良い事に思える。しかし一心というものは、生まれる事も消滅する事もない。不生不滅のものです。一心が生ずるときは、必ず分別心によります。海は必ず波の形をとります。
分別心により一心が生じてしまう。本当の一心は不生不滅です。生じる事はありません。
分別心さえなければ、全ての存在は平穏である。
 
咎無ければ法無し 生ぜざれば心ならず
分別心がなければ、存在はありません。
生じたとたん、一心は分かれてしまう。三昧の海は波という存在になる。元の心は、有無も超えている。
 
能は境に随って滅し 境は能を逐うて沈す
主観は対象とともに消滅し、対象は主観ととも消滅する。
一心が分かれて、主観と客観である対象に分かれる。これを元の一心に戻す。生ずる以前に還す。
主観がなくなれば、この世界もありません。
 
境は能に由て境たり 能は境に由て能たり
客観世界は主観によってある。しかし実体はない。主観は対象によりある。これも実体はありません。元に戻せば一心です。分別心で分けると能と境、主観と対象が生じます。