十牛図 第八

語録提唱

十牛図 第八

2019-07-30

第八 人牛倶忘
 

凡情脱落し、聖意皆な空ず。
迷いの心は脱落して、悟りもなくなった。
もはや何も無い、無いということもない。悟りの牛はおろか、自分すら無くなった。本当の空です。ざわめく波は一つもない三昧の海です。
 
有仏の処、遨遊(ごうゆう)することを用いず、
仏の世界にも遊ばない。
この空には空すらありません。空にも囚われない。
 
無仏の処、急に須く走過すべし。
仏のいない処にも留まらない。
かといってこの世界にも留まらない。どこにも留まらない。もう姿すら見えない。
 
両頭に著せずんば、千眼も窺(うかが)い難し。
二辺に囚われなければ、誰も居所が知れない。
何処にもいない。誰も見つけられない。どこかに尻をすえるということがありません。
 
百鳥華を含むも、一場の懡攞(もら)。
鳥たちの散華も恥ずかしい事だ。
以前は小鳥たちが寄ってきて花を捧げてくれた。清らかさが鳥を招いた。それが今は聖か俗かも分からない。そのどちらにも居ない。鳥に聖人と思われるようでは、まだまだです。
 

鞭索(べんさく)人牛尽く空に属す
鞭も手綱も、人も牛もみな消え去った。
もはや矯めるべき牛はいません。それどころか人すらいない。サーッと清流のように留まらない。主観も客観も消え果てた。一枚になって消え果てた。
 
碧天寥(りょう)廓(かく)として信通じ難し
青空は広く、音信は通じない。
何も無い、無いというのも有るに対するものですから、無いも無い。どこへ消えたか何の手がかりもありません。空にも囚われない境地です。
 
紅炉焔上争(いか)でか雪を容(い)れん
赤々と燃える炎は雪を瞬時に溶かす。
何もかもを瞬時に消し去る。百千の理論も消し去り、有も無く、無も無い。自己すらない。
 
此に到って方(まさ)に能(よ)く祖宗に合(かな)う
この三昧、空の境地に到って始めて、祖師の教えに適うといえよう。
本当に無字に徹し、波ひとつ無い、三昧の海に融け入る。何も無い境地。何処にも囚われない境地。完全な手放し。一度、何かに成りきって、ムーと、セキシューと。そうして始めて牛も消え、自分も消えた境地が分かります。