信心銘 第三

語録提唱

信心銘 第三

2018-11-14

多言多慮 転(うた)た相応せず
絶言絶慮 処として通ぜざる無し
根に帰すれば旨を得 照に随えば宗を失す
須臾(しゅゆ)も返照すれば 前空に勝却(しょうきゃく)す
前空の転変は 皆妄見に由る
真を求むることを用いず 唯須らく見を息(や)むべし
 
多言多慮 転た相応せず
言葉、念慮、概念、判断。そういうものでは、心、悟りには届かない。
 
絶言絶慮 処として通ぜざる無し
言葉を絶し、概念をやめて、分別を断つ。そうすると真っ直ぐに心のところの行く。
 
根に帰すれば旨を得 照に随えば宗を失す
心が皆さんの六根として働いている。ただ心というのは、自分を振り返っても見つからない。そこに見えるのは六根だけです。そこで見ることに成りきり、聞くことに徹して、元の一心に帰る。心は六根ではありませんが、六根として展開しています。それに任せきると一心が現れます。
照、照らすもの、六根です。自分がいて、対象があって、それを見聞覚知しているようでは、宗を失う。自分も対象も忘れ去って、ただ見聞覚知する。外に聞こえる雨音を、自分の音として聞く。分別以前ではそうなっている。音と自分が一体、一体になれば消え去る。根に帰ったところです。
 
須臾も返照すれば 前空に勝却す
返照回向と言います。自己に真実を見る。振り返る事ではありません。返照回向というのは、成りきることです。徹底することです。見聞覚知に成りきる。一度成りきってみれば、何かに没入してみれば、はっきりします。
ここでは空を断見として使っているのでしょう。一片に成りきってみれば、断見を離れる事が出来る。あるいは普通の空でも同じです。空に尻すえていないで、働くことが出来る。空の穴倉から働きの世界に飛び出すことが出来る。
 
前空の転変は 皆妄見に由る
その空が分別により展開したのが世界です。この相対的な世界です。しかし元は一心です。
それが妄見により転変、こう世界に展開してしまう。妄見。分別、判断、解釈。念慮により世界があります。世界に有るものに皆さんが名前を付けているのではありません。名前を付けるから世界が有る。
 
真を求むることを用いず 唯須らく見を息むべし
皆、見性したい見性したい、そればかり。皆さんは既に仏です。ただ、それに気づけない。分別するからです。振り返らずに、一方向きに、成りきってゆく。求めているうちは、自分と世界が分かれている。そこで判断や分別をやめて成りきる。何の見解ももたず解釈もしない。素直に六根の働きに任せる。六塵に成りきる。真実を求めずに、対象に成る。