信心銘 第二

語録提唱

信心銘 第二

2018-10-10

有縁を逐(お)うこと莫れ 空忍に住すること勿(な)かれ
一種平懷(へいかい)なれば、泯(みん)然(ねん)として自から尽く
動を止めて止に帰すれば、止更に弥(いよい)よ動ず
唯だ両辺に滞る 寧(なん)ぞ一種を知らんや
一種通ぜざれば 両処に功を失す
有を遣(や)れば有に沒し 空に随えば空に背く
 
有縁を逐うこと莫れ 空忍に住すること勿かれ
有縁とは、因縁によって仮にあるように見える存在、これを有と言います。この世界全てがそうです。自分も含めて。これが有です、色のことです。かりそめの存在を追い求めてはいけない。
その色は空であったと気づく。色即是空です。忍とは悟りといった意味でしょうか。しかし空の悟りにも留まってはいけない。
存在に執われても、空に執われても、どちらも駄目であると。
 
一種平懷なれば、泯然として自から尽く
ここは訳しにくいところですが、有と空は同じです。有は色ですから、色即是空です。これが同じであると、平らかであると気づけばと、そう読んでください。
有と空が同じものであると気づけば、有を追うことも、空に留まることもない。それらは消え去ってしまう。
華厳に四法界というのがあります。一つは事法界、こう見たままの存在世界です。自分があり、世界もある。この迷いの世界を事法界といいます。ここを追わない、有縁を逐うこと莫れ。次が理法界、空の世界です。ここに留まってもいけない。空忍に住すること勿かれ。次に理事無碍法界というのがあります。色即是空、空即是色のところです。最後が事事無碍法界、色即是空、空即是色も通り越し、事物と事物が滞りなくある。色即是色から当たり前に戻る。究極のところです。
ここでは、理事無碍法界、有と空が同じと気付く。色即是空、空即是色に気付けば、そんな問題は消え去る。
 
動を止めて止に帰すれば、止更に弥よ動ず
坐禅中にいろいろな思いが湧く。これを何とか始末したい。そう勘違いしがちです。これを動を止めて止に帰すと言います。心はいつも働いています。せっかく自由に働いているものを止めようとするから、いよいよ心は動く。止めようとしない。
初心指導で、出てくる念は「追わず、払わず」とご指導しましたが、その払わずです。念を止めない、思いを止めない。放っておくと六根が己なく働きます。
この六根の働きを外から観察しない。内側から成る。見ずに成る。そうすると動いていたものが止まります。三昧の境地です。仏教の急所です。やっている事に成りきる、徹する、融け入る。
 
唯だ両辺に滞る 寧ぞ一種を知らんや
両辺とはここでは動と静です。皆さん静かになろう静かになろうとしすぎる。念は動いて結構です。たとえば、お不動さんは躍動している。衆生済度に働きまわっている。しかし名前は不動、動かずです。あの境地では、動く自分を外から見ていない。一切自分を振り返っていない。動く事に成りきっている。だから不動です。
動と静は本来一つ、一種です。動きを見ているか、動きに成っているか。
この世の中は二つに分かれています。善悪、生死、有無といった具合にすべて相対的です。本来は一種、一つですが、分別心で分かれてしまう。これを元の一つに返すには、たとえば憎い、可愛いに分かれてしまったら、そのどちらかに徹する。その中間ではありません。中道とは真ん中には無い。両辺のどちらかに成りきり、徹する。憎いに徹するか可愛いに徹するか。自分や相手がいるようでは徹していませんよ。本当に徹すれば、元の一つに戻ります。
 
一種通ぜざれば 両処に功を失す
ここが分からなければ、何時までも相対世界、二見の世界の住人である。
 
有を遣れば有に沒し 空に随えば空に背く
有を遣る、有を払う事です。禅定に入っていて念が湧く。払おうとするほど念は出てくる。有を遣ろうとしない。払わない。何もしない。有れば有るまま、無ければ無いまま。手を出せば出すほど、有は盛んになります。そこを有に沈むと言った。
空の世界と言うのは、何も無い、無いという事も無い。無いというのも、有るに対する相対概念です。二見です。無いも無い。随うものも無い。その空という言葉に執われていたら、本当の空にはなれない。かえって背く事になります。