伝心法要 第四十八

語録提唱

伝心法要 第四十八

2018-09-3

若し信ぜずんば、云何ぞ明上座大庾(ゆ)嶺(れい)頭に走り来たって六祖に尋ねん。六祖便ち問う、汝来たって何事をか求む。衣を求むることを為すか、法を求むることを為すか。明上座云く、衣の為に来たらず、但、法の為に来る。六祖云く、汝且つ暫時(しばらく)念を斂(おさ)めて善悪都て思量すること莫れ。明乃ち語を稟く。六祖云く、不思善不思悪、正当与麼(よも)の時、我に明上座が父母未生時の面目を還し来れ。明、言下に於いて忽然として黙契す。便ち礼拝して云く、人の水を飲んで冷暖自知するが如し。某(それ)甲(がし)五祖の会中に在って枉(ま)げて三十年の功夫(くふう)を用い、今日方に前非を省す。六祖云く、是の如しと。此の時に到って方に知る。祖師西来、直指人心見性成仏は言説に在らざることを。

今日はお盆が近く来客が多い。また、独参を受けている人の鐘の音や、私の鈴の音なども聞こえます。あれを外に聞かない。あれは皆さんが鳴っている。今聞こえる車の音、あれは皆さんの音です。
目で物を見、耳で音を聞き、鼻で匂いをかぎ、舌で味わい、体で働き、心で思う。この六根の働きを振り返らずに、一方向きに成りきる。すると心が現れる。
欲しい、惜しい、憎い、可愛い。煩悩まみれのこの心がそのまま心である。欲しいときは欲しいに徹し、惜しいときは惜しいに成りきり、憎いときは憎しみに成りきり、可愛いときは可愛いさに融け入る。そうすると心が現成します。
若し信ぜずんば、云何ぞ明上座大庾嶺頭に走り来たって六祖に尋ねん。
五祖が慧能に法を伝えた。その証に衣を与えたと聞いた。字も読めない爺さんに法を伝える事に納得のできない明上座は、大庾嶺頭で慧能に追いついた。
六祖便ち問う、汝来たって何事をか求む。
お前さんは何を求めて来たのか。
衣を求むることを為すか、法を求むることを為すか。
この衣を取り返しに来たのか、それとも悟りを求めて来たのか。
明上座云く、衣の為に来たらず、但、法の為に来る。
明上座はここで己の本心に気づいた。自分は悟りのために来ました。
六祖云く、汝且つ暫時念を斂めて善悪都て思量すること莫れ。
ここです、皆さんもああこうの意識を暫く止めてください。
明乃ち語を稟く。
明上座は素直にそうした。
六祖云く、不思善不思悪、正当与麼の時、我に明上座が父母未生時の面目を還し来れ。
なにも判断も解釈もしない。善も悪も思わない、そのとき、皆さんの両親が生まれる前の皆さんは、どういう顔をしていたか。
明、言下に於いて忽然として黙契す。
ここで明上座は悟った。
両親が生まれる前、皆さんはどこで何をしていましたか。霊魂とか何とか、つまらない話ではありませんよ。霊魂などというものは本当の仏教では認めない。
国(くに)常(とこ)立(たち)の神が天地を創造する以前です。何もないその時、皆さんはどこにいたか。
この天地は皆さんを越えたものです。しかし、皆さんの姿で現成している。
便ち礼拝して云く、人の水を飲んで冷暖自知するが如し。某甲五祖の会中に在って枉げて三十年の功夫を用い、今日方に前非を省す。
そこで六祖を礼拝して言った。今はっきりと真実が分かりました。五祖の下での三十年は、無駄な修行でしたと。
無駄と思える三十年あってこその悟りですが、しかし悟り時はいきなりです。頓悟です。
長年追い求めていたものが自分にあった。本来悟っていたことに気づくのが悟りです。
明上座もそこに気がついた。
六祖云く、是の如しと。
まあ、それでよい。
此の時に到って方に知る。祖師西来、直指人心見性成仏は言説に在らざることを。
達磨大師が中国へいらした時の旗印、不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏。教えなどではなく、人の心を指し示し、その本性に気づかせる。今六祖がやった事です。これは、ただの言葉ではなかった。
私も皆さんの心を指さしているつもりです。ここで決着をつけていただきたい。