語録提唱

語録提唱

伝心法要④

2022-01-16

   問う、聖人の無心は則ち是れ仏なり。凡夫の無心は空寂に沈むこと莫(な)きや。師云く、法には凡聖無く亦た寂に沈むことも無し。法は本(も)と有にあらず、無の見を作(な)すこ莫(な)かれ。法は本と無にあらず、有の見を作すこと莫かれ。有と無とは尽く是れ情(じょう)見(けん)にして、猶(な)お幻(げん)翳(えい)の如し。所以(ゆえ)に云う、見聞は幻翳の如し、知覚は乃ち衆生なりと。祖師門中には、祇(た)だ機を息(や)め見(けん)を亡ずことのみを論ず。所以に、機を亡ずるときは則ち仏道隆(さかん)なり。分別するときは則ち魔軍熾(さかん)なり。  問う、聖人の無心は仏でしょうが、凡夫の無心は虚無に...

伝心法要③

2021-09-18

心は虚空の如し、所以(ゆえ)に云く、仏の真法身は猶(な)お虚空の如しと。別に求むることを用いず。求むるあらば皆な苦なり。設使(たとい)恒沙劫に六度万行を行じて、仏の菩提を得んも、亦た究(く)竟(ぎょう)に非ず。何を以っての故に。因縁の造作に属するが為の故なり。因縁若(も)し尽きなば、還(ま)た無常に帰す。所以に云う、報化は真仏に非ず。亦た説法者に非ずと。但だ自心を識らば、我(が)無く人無く、本来是れ仏なり。 心は虚空のようである。だから、仏の真の姿、法身は、虚空のようであると言う。求める必要はない。求めれば苦しみとなる。たとえ長い時間六波羅蜜や多くの行を行じて悟りに至っても究極ではない。どうし...

伝心法要②

2021-06-6

問う、如何なるか是れ仏。師云く、即心是れ仏、無心是れ道。但(た)だ心を生じ念を動じて、有無長短、彼我能所等の心無かれ。心本(も)と是れ仏、仏本と是れ心なり。 問う、仏とは何ですか。師が言うには、心が仏であり、無心が道である。ただ、思いをおこして、有るとか無いとか、長いとか短いとか、向こうとかこちらとか、主観とか客観とかの見解をおこしてはいけない。どのようにも見なければ、心は本来仏であり、仏とは心のことである。   問う、如何なるか是れ仏。仏とは何ですか?というのが裴休の質問です。 師云く、即心是れ仏。黄檗禅師が答えて、この欲にまみれた心がそのまま仏である。 欲しいと思うむさぼりの心や、あの野郎...

伝心法要①

2021-04-26

黄檗断際禅師 宛陵録 裴(はい)相公師に問うて曰く、山中四五百人、幾人か和尚の法を得たる。師云く、得たる者其の数を測(はか)ること莫(な)し。何が故ぞ。道は心に悟るに在り、豈(あ)に言説(ごんぜつ)在(あ)らんや。言説は祇(た)だ是れ童(どう)蒙(もう)を化するのみ。 裴相公が質問した。山中に四、五百人の修行僧がいますが、何人の方が和尚様の教えを悟っていますか。悟ったものは限りない。なぜかといえば、道は心が悟るのだ。言葉を超えている。言葉は子供を導くためのものだ。   裴(はい)相公師に問うて曰く、裴相公が黄檗禅師に質問した。 山中四五百人、幾人か和尚の法を得たる。多くの弟子の中で何人が真実を...

般若心経3

2020-02-6

無眼界乃至 無意識界 無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 今日も初めての方が多いですね。 坐禅とは何かといいますと、思いや念を掴んだ心の手を開く稽古のことだと考えてください。 本当は何かのためにする坐禅はいけないのですが、初心の方のためにあえて申し上げます。坐禅は念を掴んだ心の手を開く練習です。     坐禅をしているといつも以上に思いがわいてきますね。家族のことを考えたり、友人の顔が浮かんだり。その浮かんできたものをどうしても掴んでしまう。 初心指導で、出た念は「追わず、払わず」と教わったはずです。しかし掴んでしまう。家族のことを考えてしまう。知人のことを考えてしまう。追...

般若心経2

2020-02-5

舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法     今日も初心の方が何人かいらしていますが、坐禅の初心者が一番苦労するのは、次々に出てくる思いにどう対処するのかということかと思います。 人の心というものは、ちょうど清流のようなものです。清流には、葉っぱも枝も流れています。これは人の心のたとえです。人の思いを葉っぱや枝に例えています。 せっかくの清流に葉っぱは不要と、取り除こうとして手を入れてしまう。するとそこに淀みができてしまう。手を突っ込まずにサーッと流す。 これが初心指導でお伝えした坐禅の心得、「追わず、払わず」です。出てくる...

般若心経1

2020-02-4

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是    観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 観音菩薩が、深い般若波羅蜜多を行じ   般若波羅蜜多というのは『無心』と訳しました。 観音様が深い無心を行じて、    照見五蘊皆空 度一切苦厄 五蘊は皆空であると照見して、一切の苦しみから救われた。    舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 舎利子というのは、仏の十大弟子のシャーリプトラのことです。般若心経は、観音様がこのシャーリプトラに教えを説いたお経です。     シャーリプトラよ、色は空に異ならない。空は色に異な...

十牛図 第十

2019-07-30

第十 入鄽垂手   今日は最後の入鄽垂手です。鄽は町のこと。町に入って人を救う。   序 柴門(さいもん)独り掩(おお)うて、千聖も知らず。 柴の門戸を閉ざしたように、その境地はうかがい知れない。 前回の返本還源で自分の修行は終わりました。今日の処は衆生済度です。 薫習という言葉が有ります。花の香りが人につくように、その人が側にいるだけで、周りの人まで救われてしまう。 爺に逢うては爺相応、婆に逢うては婆相応、子供に逢うては子供相応。対機説法です。子供に仏教を説いても聞いてくれない。子供には子供の目線で接する。 何も難しいことは言わないが、なぜかその人が居るだけで雰囲気が違う。ごく自然に振舞って...

十牛図 第九

2019-07-30

第九 返本還源   序 本来清浄にして、一塵を受けず。 本来清らかであり、塵ひとつない。 本へ返り源へ還る。 衆生本来仏なり。このままで迷いの塵は一つもない。先週お話した、何もない処が本源のように思いますが、このありのままの世界こそが、本へ返ったところであり、源へ還ったところです。有に成りきった処が無で、そこを通っての有がここでは説かれています。   有相の栄枯を観じて、無為の凝寂に処す。 この栄枯の仮の世界をそのまま寂滅と観る。 この栄枯盛衰の世界に徹して、それを寂滅と見る。無一物中にすべてが含まれている無は、有に成りきった無です。前回の何も無い円相は今日の返本還源と表裏の関係にあります。...

十牛図 第八

2019-07-30

第八 人牛倶忘   序 凡情脱落し、聖意皆な空ず。 迷いの心は脱落して、悟りもなくなった。 もはや何も無い、無いということもない。悟りの牛はおろか、自分すら無くなった。本当の空です。ざわめく波は一つもない三昧の海です。   有仏の処、遨遊(ごうゆう)することを用いず、 仏の世界にも遊ばない。 この空には空すらありません。空にも囚われない。   無仏の処、急に須く走過すべし。 仏のいない処にも留まらない。 かといってこの世界にも留まらない。どこにも留まらない。もう姿すら見えない。   両頭に著せずんば、千眼も窺(うかが)い難し。 二辺に囚われなければ、誰も居所が知れない。 何処にもいない。誰も見...