伝心法要 第四十

語録提唱

伝心法要 第四十

2018-04-15

上堂して云く、百種の多知も、求むる無きの最第一なるに如かず。道人は是れ無事の人、実に許多般(そこばく)の心無し、亦道理の説くべき無し。事無し、散じ去れ。

上堂して云く、百種の多知も、求むる無きの最第一なるに如かず。
説法の座に黄檗禅師が登って仰った。様々な理法、仏教学よりも、何も求める事がない方が勝っている。
何かを求める。悟りを求め、本来の自己を求め、仏を求める。この求めるという行為は、求めるものを対象化しいて、それをこちらに引き寄せるということです。求めるものと求められるものとが、分かれている。元は一つのものです。
仏と自分、悟りと自分。元来一つです。これを求めるものと求められるものとに分けてしまう。この本来の一体性に還るのが禅です。その一体の境地を法身と言ったり、真如と言ったりする。
求めないから一体です。一つだから求める必要がないし、求められない。
これが分かれてしまう。分別の対象になってしまう。生と死、有ると無い、善と悪。これらは一心が分かれたものです。この分かれる以前の心。成りきったところ。一つに戻すには成りきるしかない。そこが無心の境涯。無念無想とは成りきった境地です。
この成りきるというのが分からないでしょう。工夫のしどころです。
道人は是れ無事の人、
何も事が無い。何の問題も無い。求めるべきものがない。いまさら悟る必要もない。
禅に悟りと言うものがあるとすれば、成りきって、すでに悟っている自分に気づくという事でしょうか。だから無事の人。
実に許多般の心無し、
あれやこれやの思いがない。
亦道理の説くべき無し。
心には何の道理も無い。
事無し、散じ去れ。
何の問題もない。皆帰りなさいと。