伝心法要 第四十一

語録提唱

伝心法要 第四十一

2018-04-17

問う、如何なるか是れ世諦。師云く、葛藤を説いて什麼(なに)をか作さん。本来清浄、何ぞ言説問答を仮らん。但だ一切の心無きを、即ち無漏智と名づく。汝毎日の行住座臥と一切の言語に、但だ有為法に著すること莫れ。言を出だし目を瞬(まじろ)がすも、尽く無漏に同じきなり。

問う、如何なるか是れ世諦。
世諦というのは世俗諦ともいいます。この反対語は真諦です。真諦は無分別の智恵、世諦はそれを説くための方便でしょうか、分別心。世諦とは何でしょうか。
師云く、葛藤を説いて什麼(なに)をか作さん。
そんなことを説明して何になる。
本来清浄、何ぞ言説問答を仮らん。
君は本来清浄である。すでに悟りの中にいる。いまさら相対的な言葉の分別を説明する必要は無い。
但だ一切の心無きを、即ち無漏智と名づく。
無漏智というのは煩悩の無い智慧。有漏の反対です。
有漏に対して無漏。煩悩と悟り。
無心の境地が無漏智である。しかし煩悩を離れて悟りの境地に行くわけではない。煩悩をありつぶして有漏から無漏にいたる。煩悩に成りきる。そこに無漏がある。
汝毎日の行住座臥と一切の言語に、但だ有為法に著すること莫れ。
人間の全ての行動が行住座臥です。君の毎日の全ての行動と言葉、それがこの現象世界に執着することのないようになさい。
有為法とは因縁により仮にある世界。この相対的世界です。対する無為法とは、分別を離れた真実の世界。有為法に囚われないようにと。
言を出だし目を瞬がすも、尽く無漏に同じきなり。
この因縁により仮にある現象世界、そしてこの自分。それに執着する事がなければ、何を語っても瞬きするのも、ことごとく真実である。
心がここではテーマになっています。分別するから心が分からない。有心をありつぶして無心に成る。相対性はこの世界のありかたです。その相対性に成りきる。
有に成りきり、無に成りきる。生に成りきり、死に成りきる。分かれた、二見になった世界を一つに還すには、一方に成りきるしかない。分別以前に帰るとはそういうことです。