無門関四十四則 芭蕉拄杖(ばしょうしゅじょう)

語録提唱

無門関四十四則 芭蕉拄杖(ばしょうしゅじょう)

2016-03-3

四十四則 芭蕉拄杖(ばしょうしゅじょう)
 芭蕉(ばしょう)和尚,衆に示して云く,你(なんじ)に拄杖子(しゅじょうす)有らば,我れ你に拄杖子を与えん。你に拄杖子無くんば,我れ你が拄杖子を奪わん。
無門曰く,扶(たす)かっては断橋(だんきょう)の水を過ぎ,伴(ともの)うては無月(むげつ)の村に帰る。若(も)し喚(よ)んで拄杖と作(な)さば,地獄に入(い)ること箭(や)の如くならん。
 頌に曰く,
諸方の深(しん)と浅(せん)と,都(す)べて掌握の中に在り。
天を撐(ささ)え并(なら)びに地を拄(ささ)う,処(ところ)に隨って宗風を振るう。
 芭蕉和尚が修行僧に説法して言うには、諸君に拄杖が有れば私は諸君に拄杖を与えよう。拄杖が無ければ拄杖を奪い取ろう。
 無門が評して、橋の落ちた川を助けとして渡り、月のない暗闇の村へ伴なって帰る。もしこれを拄杖などと呼べば、あっと言う間に地獄落ちである。
 そこを漢詩に詠って、諸方の人間の境涯の浅深、これらはすべてこの掌が握っている。この拄杖で天地を支える。どこへ行っても自在に法を説く。
 この芭蕉和尚は仰山(ぎょうざん)和尚三世の法孫です。あまり履歴のはっきりしていない方ですが、どうも現在の朝鮮、新羅ご出身の方のようです。
この拄杖というのは八尺ほどの杖です。今は儀式でしか使われなくなりましたが、昔の雲水はこの杖を持って行脚しました。草深いところを行くときは草を払い、蛇や虫を追いながら進む。河を渡るときは拄杖で深さを測る。また疲れた時は拄杖を頼りに歩き、坐睡の時にはこれに寄りかかって眠る。
 今日の則もそうですが、公案は何が出てきても自分のこととして捉えてください。犬が出てきても猫が出てきても、仏や祖師が出てきても、みな自分のこととして捉えてください。この拄杖についても自分の様子としてお聞きください。そして、拄杖とは何であるかというのが本則のテーマです。
 你に拄杖子有らば,我れ你に拄杖子を与えん。你に拄杖子無くんば,我れ你が拄杖子を奪わん。拄杖を持っていればあげよう、無ければ取り上げる。どうも逆さま、矛盾しているように思えますね。さてこの拄杖とは何であるか。これを自分の外に見ていては何時までたっても埒があきません。外に答えはありません。翻って自分のうちにこれを見つけてください。さてこれは何であろうか。
 禅では自分の根源、本性、これに気が付くことを見性といいます。そこで自分は見性しております、悟りを得ておりますなどという者がいれば、そいつには拄杖で一棒を食らわせてやろう。你に拄杖子有らば,我れ你に拄杖子を与えん。この拄杖でそんな一枚悟りなどは粉々に打ち砕いてやろう。
 いやそんな悟りなどというものはとうの昔に捨て去りました。私には何も有りません。擦り切れ貧乏、自分のうちには何一つ有りません。そんなことを言う奴がおったら、你に拄杖子無くんば,我れ你が拄杖子を奪わん。その無いということも奪ってやろう。有にいる奴には一棒を与えよう。無にいる奴からは無も奪ってやろう。
 さてこの拄杖、これはいったい何でしょうか。ここはしっかり坐っていただくところです。これは皆さんのことです。皆さんのうちにこの拄杖を見出してください。坐禅でこの拄杖を手に入れてください。
 無門曰く,扶かっては断橋の水を過ぎ,橋のない川。生きていれば様々なことがあります。思いもよらないことが次々に起こる。ああ橋が落ちてしまった。これでもってこの人生を渡って行こう、そう頼りとしていたものが崩れてしまう。そして目の前には深さも判らない河がある。それを行脚の雲水が河の深さを拄杖で測るように、この拄杖に助けられて渡る。扶かっては断橋の水を過ぎ。
 伴うては無月の村に帰る。月のない真っ暗な村へ帰る。杖を頼りに闇夜を歩む。そこをもう一つ掘り下げれば、無月の村とは三昧の世界。坐禅によって内外(ないげ)打成(だじょう)一片(いっぺん)となり、三昧の境涯に至る。ここにはもはや何も無い、そこが無月の村。この拄杖に伴われてその無月の村に帰る。
 あれこれの葛藤の世界をこの拄杖に助けられて渡り、そして大三昧の境地にこの拄杖に伴われて帰る。自己の根源に帰る。私たち有限の存在を永遠に帰す。無月の村に帰る。
 若し喚んで拄杖と作さば,地獄に入ること箭の如くならん。
 言葉では何とでも言えます。仏心、仏性。真如、法身。そんな言葉で表しているようでは、地獄に真っ逆さまである。ここは言葉を離れた体験、坐禅による直覚しかありません。しっかり坐ってください。
 頌に曰く, 諸方の深と浅と,都べて掌握の中に在り。諸方で説法している老師方の境涯はすべてお見通しである。この胸中の拄杖でもって深いも浅いもすぐに測ることができると。
 今の東福寺の管長さんが博多で住職していた時、ある大きな斎会(さいえ)を手伝ったことがあります。修業を始めて十年位の頃、まだ三十四、五歳でした。先年若くして亡くなった相国寺専門道場師家、田中宗唯(そうい)老師もまだ現役の修行僧で、やはり手伝いで来ていました。その斎会には日本中から本山管長をはじめ、十数人の老師方が出席していました。私たちはお茶出しをしていたのですが、まだ雲水だった田中老師が、ひとつ老師方の境涯を試そうと言い出しました。そしてお茶と菓子を左右逆さに出したり、両手同時に出したりと、まあ一緒に無茶をしたものです。そしてその時の老師方の対応で、やれ境涯が浅いとか何とかやったものです。まあひどい雲水でした。諸方の深と浅と,都べて掌握の中に在り。
天を撐え并びに地を拄う,処に隨って宗風を振るう。この拄杖でもって天地を支える。随処(ずいしょ)に主(しゅ)とならば立処(りつしょ)皆な真なり。どこへ行こうが自己の主人公が自在に用らく。この拄杖が自在に用らく。さてこの拄杖、これは何であろうか。じっくりと拈提(ねんてい)してください。