信心銘 第九

語録提唱

信心銘 第九

2019-03-30

虚(こ)明(めい)自から照し 心力を労せず
非思量の処 識情測り難し
真如法界 他無く自無し
急に相応せんと要せば 唯(ただ)不二と言う
不二なれば皆同じ 包容せざる無し
十方の智者 皆此の宗に入る
宗は促(そく)延(えん)に非ず 一念万年
在と不在と無く 十方目前
 
虚明自から照し 心力を労せず
心というのは、思うことが出来ない、思議できない。その一心が分かれて我々の六つの感覚器官、六根に分かれます。眼耳鼻舌身意。その分かれた六根の働きに任せ切る。下で電話が鳴れば聞くまいとしても聞こえる。目の前のテキストも自然に見えてしまう。私の話の内容を無意識に考えている。これが虚(こ)明(めい)自から照し ということ。意識をあえて働かせるまでもない。心力を労せず。
 
非思量の処 識情測り難し
弟子が薬山聞いた、禅定のとき、何を考えていますかと。薬山が答えた、考えない事を考えている。弟子が聞いた、考えないことを、どうやって考えたらいいのでしょうか。薬山が答えて、考えではないと。この最後が非思量です。思量に非ず。思いではない、考えではない。自分があって何かを考えているのは思量です。自分もなく対象もなく、ただ考える。考えつぶれたところ、これが非思量です。考えつぶれたところには、意識も感情も届かない。
 
真如法界 他無く自無し
真実の世界には、主観も客観もない。自分も環境世界もない。何も無い、無いという事も無い。
 
急に相応せんと要せば 唯不二と言う
その真実にかなうためには、ただ相対を離れる。分別を離れる。
 
不二なれば皆同じ 包容せざる無し
この相対を離れれば、本来の一心に還ります。ここには何も無い、しかし、すべてがここに含まれています。ここからすべてが現象します。禪の無は全てを含んだ無です。
 
十方の智者 皆此の宗に入る
世界中の智者はすべてこの真実から入る。相対性を離れる、ここから入る。分別を離れるところから入る。
 
宗は促延に非ず 一念万年
真理は時間を超えている。だから一瞬が永遠である。
これは体験的事実です。
 
在と不在と無く 十方目前
真理には有る無しがないので、すべては今ここにあります。