四苦八苦

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四苦八苦

2019-06-9

四苦八苦
生老病死の四苦に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを足したものを四苦八苦という。
最初の四苦、生老病死は生き物としての人間の苦しみ。愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦は社会的苦しみ、五蘊盛苦は前の七つの総括と考えられる。
 
・生苦・・・生まれる苦しみ。
生きる苦しみではなく、生まれる苦しみ。生まれるのがどうして苦しみなのか。
生まれる以前は、自己は世界とひとつであった。世界そのものであった。それに肉体と精神いう枠組みを与えられるのが、生まれるということ。世界と一体の海からの自分というものの波立ち。
生まれたばかりの赤ん坊には、多分まだ分別は無い。母親を認識するのが、最初の分別。それから5年経ち、10年経ち、世界はこのようにバラバラに分かれてしまい、本来無かった自我まで形成されて、あたかも有るように見えてしまう。 
 
・老苦・・・老いていく苦しみ。
齢をとり、足腰が弱り、眼は遠くなり、歯は抜け、今まで普通に出来ていた事が出来なくなる。だんだん体が思うようにならなくなる。
 
・病苦・・・病気の苦しみ。
動く事も難しくなり、機械につながれ、だんだんやせ細ってゆき、死を考えるようになる。
 
・死苦・・・死の苦しみ。
自我が消え去る恐怖。本来死ぬとは、また一体の世界に還る事なのだが、この肉体と精神という枠組みに囚われた我々は、そこに自我という無いものをあたかも有るように思い、その自我を失うことを恐れる。肉体と精神という枠組を使う主体と考える自我は、妄想であり、錯覚である。
 
・愛別離苦(あいべつりく)・・・愛する者と別離すること
家族や知人、どんなに大切な人ともいつかは分かれなくてはならない。最終的には、必ず人は死によって引き裂かれる。
しかし死とは無になることではない。全てになることである。そこを良寛さんは、形見とてなに残すらん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉 と歌った。自分は死んでも春は花になり笑おう、夏はほととぎすとして鳴こう、秋はもみじとして色づこう。という意味です。良寛さんは死んで世界になっている。 
 
・怨憎会苦(おんぞうえく)・・・怨み憎んでいる者とも交わらなければならない
仕事をしていれば、誰もが思うことです。また親戚関係、ご近所の関係、知人の関係、とにかく人間関係のあるところには、全てこの苦しみがついてきます。
何故他人を嫌うのか。多分お互い我を張り合っているから。自我をぶつけ合っているから。本来なかった自我を、成長とともにあるように錯覚した自我のぶつけあいが原因。
 
・求不得苦(ぐふとくく)・・・求める物が得られないこと
私たちには、あれが欲しいこれが欲しいと欲があります。美味しいものが食べたい。ブランドのバックが欲しい。海外旅行に行きたい。しかし、その多くはかなえられない。
高邁な願いであっても、かなえられない事が多い。たとえば平和。世界のどこかで人と人が殺しあっている。人種が違うから、宗教が違うからと戦っている。日本人のほとんどが、平和を願ってもそれはかなわない。求不得苦、求めても得られない。
 
・五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・・存在の苦しみ。
この世界に、肉体と精神という枠組みを与えられ、私たちは生まれて来てしまった。海から波立って生まれ来てしまった。そして、本来ない自我も年齢とともに発生して、世界はこのように分節した存在になった。
これは元一体の海だったものが、存在という波になってしまったことが、原因である。存在する事、あること、それ自体を仏教は苦と捉える。
しかし、良く考えれば、波は海で出来ている。この肉体という波も、精神という波も、みな海で出来ている。その海を仏という。我々は、仏の波立ちなのである。そこに仏教の救いを観るべきであろう。