自分

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2022-08-11

自分というものは、有るのか無いのか、考えている。禅の課題はこれに尽きるであろう。

唐突だが、そこで『滝』について考えてみる。常識では滝は有る。写真にも撮れる。名前もついてそこに存在している。華厳の滝、浄蓮の滝、白糸の滝。

しかし、その滝の水は、すごい速さで落ちている。数秒前の水はもうどこにもない。水はすべて入れ替わっているのだ。でも我々はそれを同じ名前で呼ぶ。はたして、その滝は、有るのか無いのか?

同様に、自分の体も日々変わっている。子供の頃の細胞などどこにも残ってはいない。すべて入れ替わっている。でも我々は同じ名前で自分を呼ぶ。同じ自分だと思っている。はたして、自分は、有るのか無いのか?

有るようで無い、無いようで有る。分別心にはそう映る。