緑に囲まれた、自然豊かなお寺です。
洪福寺正門前の様子。
正門を囲む2本の大きな桜は、春になると街ゆく人々を和ませています。
洪福寺は神奈川県横浜市で700年以上もつづく、歴史の深いお寺です。
春には満開の桜に囲まれ、自然豊かな景観を楽しむことができますので、
ぜひ気軽にお立ち寄りください。
洪福寺 境内の様子
洪福寺の歴史
正門には狛犬の彫刻
洪福寺開創の年代を確定すること出来ません。しかし、『新編武蔵風土記稿』などの資料を調べてみると、1330年代、旧東海道と八王子道の追分、袖摺山(洪福寺山の墓地あたり)に建長寺第30世住職、枢翁妙環和尚により薬師堂が建立されたのが草創と考えられます。枢翁妙環和尚は、高峰顕日禅師の法嗣で後醍醐天皇から仏寿禅師の名前を贈られています。枢翁妙環和尚は、建長寺のほか雲巌寺にも住職しています。
その後時代が下って、徳川家光の戸籍制度改革のあった寛永13年(1636)頃に現在地に薬師堂を移したのが、今の洪福寺開創と考えられます。そのときの開山が大空呑海禅師で、開基は芝生(しぼう)村の百姓権左衛門の先祖で、法号が心無道安とされる方です。袖摺山の薬師堂や仏寿禅師のことを考えると、どちらも中興の開山、開基とするべきであろうと思われます。
本尊は薬師如来で、鎌倉権五郎景政の守り本尊で眼洗い薬師と称されていました。鎌倉権五郎景政が後三年の役で片目を射抜かれながら、奮迅したことからついた俗称と考えられます。
ちなみに鎌倉権五郎景政は『歌舞伎十八番』の一つ『暫』でも有名な武将です。
社宮司大権現
社宮司大権現の神棚
洪福寺境内に鎮守様として祭られているのが社宮司大権現です。社宮司大権現は通称「おしゃもじ様」と呼ばれ、咽喉・風邪の病気の神様とされ、病の人は社にあげてある杓子を1本持ち帰り、患部をなぞると病が癒えると言われていました。そして全快した時は新しい杓子を2本お返しするのです。インフルエンザの流行などがあれば、参拝者があふれ、杓子が山のようになったそうです。おしゃもじ様は全国的にまつられている神様で、比較的古くから開けた土地に多いようです。洪福寺におしゃもじ様が建立された年代は不明ですが、17世紀初頭に洪福寺が東海道の追分から現在地に移ったときには、すでに当地か近在に祀られていたものと考えられます。
住職からのご挨拶
(まさえ そうぜん)
いつの間にか私も還暦をこえました。これまで沢山のことを学ばせていただきました。これから少しでもお返しできたらと思っています。
住職略歴
- 昭和36年1月
- 群馬県に生まれる。
- 55年4月
- 東洋大学文学部印度哲学科入学。
- 59年3月
- 同 卒業。
- 59年4月
- 白山道場小池心叟老師に入門、得度。
- 60年3月
- 建長寺専門道場入門。
- 平成 3年
- 同 暫暇。白山道場へ帰山、小池老師に参禅。
- 平成11年4月
- 建長寺専門道場へ再入門。その後吉田正道老師に通参、印可を許される。
- 12月
- 東京都文京区の妙心寺派霊樹院住職に就任。
- 平成27年2月
- 霊樹院住職退任。
- 5月
- 建長寺派洪福寺住職就任。