語録提唱

語録提唱

伝心法要 第二十

2017-05-26

十月八日、師休に謂って曰く、化城と言うは、二乗及び十地等覚妙覚の皆是れ権立接引の教を並びに化城と為す。宝所と言うは及ち真心、本仏、自性の宝なり。此の宝は情量に属せず、建立すべからず。仏も無く衆生も無く、能も無く所も無し。何れの処にか城あらん。若し此れ既に是れ化城なり、何れの処をか宝所と為さんと問わば、宝所は指すべからず、指せば即ち方所あり。真の宝所に非ず。故に近きに在りというのみ。定量して之を言うべからず。但、当体之に会契せば即ち是なり。 闡提と言うは信不具なり。一切六道の衆生、乃至、二乗の仏果あるを信ぜざる。皆是れを善根を断ずる闡提と謂う。菩薩は深く仏法あるを信じ、大乗小乗あるを見ず。仏と衆...

伝心法要 第十九

2017-05-17

凡そ人終わらんと欲する時に臨みて、但五蘊皆空にして四大我無く、真心無相にして去らず来たらず、生時、性亦来らず、死時、性亦去らずと観じ、湛然として円寂ならば、心境一如なり。但、能く是の如く直下頓に了せば、三世の為に拘繋せられず。便ち是れ出世人なり。切に分毫の趣向あることを得ざれ。若し善相の諸仏来迎し、及び種々に現前するを見るも、亦心随って去ること無く、若し悪相種々に現前するを見るも、亦心畏怖すること無く、但、自ら心を忘じて法界に同ぜば、便ち自在を得ん。此れ即ち是れ要節なり。   凡そ人終わらんと欲する時に臨みて、 臨終です。この生がまさに今終わらんとしている時、臨終の間際。 但五蘊皆空...

伝心法要 第十八

2017-05-17

凡夫は皆境を遂うて心を生じ、心遂に忻(ごん)厭(おん)す。若し無みせんと欲せば、当に其の心を忘ずべし。心忘ずれば即ち境は空なり。境空ならば即ち心滅す。若し心を忘ぜずして、但、境のみを除かんとせば、境は除くべからず。祇、益々紛擾せん。故に萬法唯心、心亦不可得なり。復何をか求めんや。般若を学する人は一法の得べき有るを見ず。意を三乗に絶し、唯一真実にして、証得すべからずとす。我能く証し能く得ると謂うは皆増上慢の人、法華会上衣を払って去りし者は皆斯の徒なり。故に仏言く、我菩提に於いて実に所得無しと。黙契するのみ。   9月1日の説法の続きです。 凡夫は皆境を遂うて心を生じ、心遂に忻厭す。 凡...

伝心法要 第十七

2017-04-29

九月一日、師休に謂って曰く、達磨大師中国に到ってより、唯一心を説き、唯一法を伝え、仏を以って仏を伝えて、余仏を説かず。法を以って法を伝えて、余法を説かず。法は即ち不可説の法、仏は即ち不可取の仏なり。乃ち是れ本源清浄の心なり。唯、此の一事のみ実にして、余の二は真に非ず。 般若を慧と為す、此の慧は即ち無相の本心なり。凡夫は道に趣かず、唯六情を恣にして乃ち六道に行く。学道の人一念も生死を計すれば、即ち魔道に落ち、一念も諸見を起こさば即ち外道に落つ。 生ありと見て其の滅に趣かば、即ち声聞道に落ち、生ありと見ずして唯滅ありと見れば、即ち縁覚道に落つ。法は本生ぜず、今も亦滅無く、二見を起こさず、厭わず忻(...

伝心法要 第十六

2017-02-20

貪瞋癡あるが為に即ち戒定慧を立つ。本煩悩無くんば、焉んぞ菩提あらん。故に祖師云く、仏の一切の法を説くは、一切の心を除かんが為なり。我に一切の心無くんば、何ぞ一切の法を用いんと。本源清浄仏の上には更に一物を著けず。譬えば虚空の無量の珍宝を以って荘厳すと雖も、終に住むること能わざるが如し。仏性は虚空に同じ、無量の功徳智慧を以って荘厳すと雖も、終に住むること能わず。但、本性に迷うて転た見ざるのみ。謂わゆる心地の法門は萬法皆此の心に依って建立す。境に遇えば即ち有、境無ければ即ち無なり。浄性の上に於いては転じて境の解を作すべからず。言う所の定慧鑑用歴歴、寂寂惺惺たる見聞覚知は、皆是れ境上に解を作す。暫く...

伝心法要 第十五

2017-02-5

此の霊覚の性は、無始より巳来、虚空と壽を同じくし、未だ曾って生ぜず、未だ曾って滅せず、未だ曾って有ならず、未だ曾って無ならず、未だ曾って穢ならず、未だ曾って浄ならず、未だ曾って喧ならず、未だ曾って寂ならず、未だ曾って少ならず、未だ曾って老ならず。方所無く、内外無く、数量無く、形相無く、色象無く、音声無し。覓むべからず、求むべからず。智慧を以って取るべからず、境物を以って会すべからず、功用を以って到るべからず。    諸仏菩薩と一切の蠢動含霊と同じく此れ大涅槃の性なり。性即ち是れ心、心即ち是れ仏、仏即ち是れ法なり。一念も真を離るれば皆妄想たり。心を以って更に心を求むべからず、仏を以って更に仏を求...

伝心法要 第十四

2017-01-12

学道の人若し要訣を知ることを得んと欲すれば、但、心上に於いて一物をも著くること莫れ。仏の真法身は猶虚空の如しと言う。此れは是れ法身即ち虚空、虚空即ち法身なるに喩う。常人は法身は虚空処に遍く、虚空の中に法身を含容すと謂うて、法身即ち虚空、虚空即ち法身なることを知らず。若し定んで虚空ありと言わば、虚空は是れ法身ならず。若し定んで法身ありと言わば、法身は是れ虚空ならず。但、虚空のみの解を作すこと莫れ、虚空即ち法身なり。法身のみの解を作すこと莫れ、法身即ち虚空なり。虚空と法身と異相なし。仏と衆生と異相なし。生死と涅槃と異相なし。煩悩と菩提と異相なし。一切の相を離る即ち是れ仏なり。凡夫は境を取り、道人は...

伝心法要 第十三

2017-01-5

唯、直下頓に自心本来是れ仏なりと了して、一法の得べき無く、一法の修すべき無し。之は是れ無上の道なり。之は是れ真如仏なり。学道の人、祇怕る、一念有ならば、即ち道と隔つことを。念念無相、念念無為なる、即ち是れ仏なり。 学道の人、若し成仏を得んと欲せば、一切の仏法総て学することを用いざれ。唯、無求無著を学べ。求むること無くんば即ち心生ぜず。著すること無くんば即ち心滅せず。不生不滅即ち是れ仏なり。 八萬四千の法門は八萬四千の煩悩に対す。祇、是れ教化接引門なる。本一切の法無し。離すれば即ち是れ法なり。離を知る者是れ仏なり。但、一切の煩悩を離すれば、是れ法として得べき無し。 今日のところは、とても大切なと...

伝心法要 第十二

2017-01-5

学道の人疑うこと莫れ、四大を身と為せば、四大に我無く、我も亦主無し。故に知んぬ、此の身我無く、亦主も無きことを。五陰を心と為せば、五陰に我無く、亦主無し。故に知んぬ、此の心我無く、亦主も無きことを。六根六塵六識の和合し生滅するも、亦復此の如し。十八界既に空なれば、一切皆空なり。唯、本心のみ有りて、蕩然として清浄なり。 識食をあり智食あり、四大の身は飢瘡を患と為せば、随順給養して貪著を生ぜざるを、之を智食と謂い、情を恣にして味を取り妄りに分別を生じ、唯、口に適せんことを求めて厭離を生ぜざる、之を識食と謂う。 声聞は声に因って得悟す。故に之を声聞と謂う。但、自心を了せずして、声教の上に於いてのみ解...

伝心法要 第十一

2016-11-17

決定して一切法本所有無く、亦所得無く、依も無く住も無く、能も無く所も無しと知って、妄念を動ぜずんば、便ち菩提を証せん。道を証する時に及んで、祇、本心仏を証するのみ。歴劫の功用、並びに是れ虚修なり。力士の珠を得る時、祇、本の額の珠を得るのみ。外に向かって求覓(ぐべき)せし力に関わらざるが如し。故に仏言く、我は阿耨(あのく)菩提に於いて実に所得なしと。人の信ぜざるを恐るるが故に、五眼の所見、五語の所言を引く。真実にして虚ならず。是れ第一義諦なり。 決定して一切法本所有無く。 一切法、ここでいう法というのは、存在というふうに取ってください。一切法本所有無く。いろいろな物がこうあるように見えます。向こ...