語録提唱

語録提唱

伝心法要 第四十

2018-04-15

上堂して云く、百種の多知も、求むる無きの最第一なるに如かず。道人は是れ無事の人、実に許多般(そこばく)の心無し、亦道理の説くべき無し。事無し、散じ去れ。 上堂して云く、百種の多知も、求むる無きの最第一なるに如かず。 説法の座に黄檗禅師が登って仰った。様々な理法、仏教学よりも、何も求める事がない方が勝っている。 何かを求める。悟りを求め、本来の自己を求め、仏を求める。この求めるという行為は、求めるものを対象化しいて、それをこちらに引き寄せるということです。求めるものと求められるものとが、分かれている。元は一つのものです。 仏と自分、悟りと自分。元来一つです。これを求めるものと求められるものとに分...

伝心法要 第三十九

2018-04-13

云く、若し照に因らずんば、何時か見ることを得ん。師云く、若し也(ま)た因に渉って常に須らく物を仮るべくんば、什麼の了る時かあらん。汝見ずや、他(かれ)汝に向かって道う、手を撒(はな)って君に似(しめ)すに一物無し、徒に謾(みだり)に数千般を説くを労すと。云く、他若し識了せば、照らすも亦物無きや。師云く、若し是れ物無くんば、更に何ぞ照らすことを用いん。汝眼を開いて弥語(みご)し去ること莫れ。 云く、若し照に因らずんば、何時か見ることを得ん。 照らさなければ何も見えないじゃありませんか、と裴休が質問している。物と自分を分けている。心をすでに分別している。 裴休はこの心や仏を外に見てしまう。私たちは...

伝心法要 第三十八

2018-04-12

問う、祇、目前の虚空の如くならば、是れ境ならざるべけんや。豈に境を指して心を見ること無からんや。師云く、什麼の心か汝をして境上に向かって見せしむ。設(たと)い汝見得すとも、祇、是れ箇の境を照らす底の心のみ。人の鏡を以って面を照らすが如し。縱(た)然(と)い眉目分別なるを見るを得とも、元来祇是れ影像のみ。何ぞ汝に関せん。 問う、祇、目前の虚空の如くならば、是れ境ならざるべけんや。 ここで問われている心とは、皆さんの心です。そしてその心が釈尊の心であり、達磨大師の心でもある。皆さんを超えているが皆さんに現れているのが心です。私の目前の空間、虚空は、実に手のつけようがないものです。増やすことも減らす...

伝心法要 第三十七

2018-04-12

云く、若し心を相伝せば、云(いか)何(ん)ぞ心亦無しと言わん。師云く、一法を得ざるを名づけて心を伝うと為す。若し此の心を了ぜば、即ち是れ心無く法無し。云く、若し心無く法無くんば、云何が伝と名づけん。師云く、汝心を伝うと道うを聞いて、将に得べきものありと謂(おも)えり。所以(ゆえ)に祖師云く、心性を認得する時、不思議と説くべし、了了として所得無し、得る時は知ると説かずと。此の事若し汝に得せしめんとするも何ぞ堪えん。 云く、若し心を相伝せば、云(いか)何(ん)ぞ心亦無しと言わん。 前回の最後で、心を以って心を伝う、とあった続きです。心を以って心に伝える。 もし心を相伝するのであれば、何故心は無いと...

伝心法要 第三十六

2018-04-9

問う、妄能く自心を障うと、未審(いぶかし)、今何を以ってか妄を遣らん。師云く、妄を起こし妄を遣るも亦妄を成ず。妄本根なし、祇、分別に因って有なり。汝但、凡聖の両処に於いて情尽きなば、自然に妄無けん。更に若(いか)為(ん)が他を遣らんと擬せん。都て纖毫の依執あること得ざるを名づけて我捨両臂(がしゃりょうひ)、必(ひつ)当(とう)得仏(とくぶつ)と為す。云く、既に依執無くんば、当に何をか相承すべき。師云く、心を以って心に伝う。 問う、妄能く自心を障うと、 妄見が自心を覆ってしまう。本当のことを覆ってしまう。 未審、今何を以ってか妄を遣らん。 それでは今何を以って妄見を追い払ったらよいのでしょうか。...

伝心法要 第三十五

2018-04-6

祖師西来して直に一切人の全体是れ仏なりと指(しめ)す。汝今識らずして凡を執し聖を執し、外に向かって馳聘(ちへい)(馬偏)して還って自ら心に迷う。所以に汝に向かって道う、即心是仏と。一念の情生ずれば即ち異趣に堕す。無始より巳来、今日に異ならず。異法あること無きが故に成等正覚と名づく。云く、和尚の言う所の即とは是何の道理ぞ。師云く、什麼の道理をか覓むる。纔に道理あらば便(すな)即(わ)ち心異なる。汝若し覓めずんば何の処にか異なるあらん。云く、既に是れ異ならずんば、何ぞ更に即と説くことを用いん。師云く、汝若し凡聖を認めずんば、阿(だ)誰(れ)か汝に向かって即と道わん。即若し即ならずんば、心亦心ならず...

伝心法要 第三十四

2018-04-3

問う、上より来(このかた)、皆な即(そく)心(しん)是仏(ぜぶつ)と云う。未審(いぶかし)、那箇の心に即して是れ仏なる。師云く、汝に幾箇の心か有る。云く、復凡心に即して是れ仏なりと為すや、聖心に即して是れ仏なりや。師云く、汝の何処に凡聖の心ありや。云く、即今三乗の中に凡聖ありと説く、和尚何ぞ無しと言うを得ん。師云く、三乗の中に分明に汝に向かって道う、凡聖の心は是れ妄なり。汝今解せずして返って執して有と為し、空を打って実と作す。豈に是れ妄ならざんや。妄なるが故に心に迷う、汝但、凡情と聖教とを除却せば、心外に更に別仏無し。 問う、上より来、皆な即心是仏と云う。 心がそのまま仏であると。今私の声を聞...

伝心法要 第三十三

2018-04-3

三乗の教網は祇是れ応機の薬、随宜の所説、時に臨んで施設して各各同じからざるのみ。但、能く了知せば、即ち惑せられず。第一に一機一教の辺に於いて文を守って解を作すことを得ざれ。何を以ってか此の如くなる。実に定法の如来の説くべき有ること無ければなり。我が此の宗門は此の事を論ぜず。但、息心を知れば即ち休す。更に前を思い後ろを慮かることを用いざれ。 三乗の教網は祇是れ応機の薬、 三乗の教えは薬のようなものである。仏は一つの事を説きませんでした。ある境地は伝えようとしていますが、説き方は応病与薬、対機説法です。有に囚われた者には無を説き、無に囚われた者には有を説く。 随宜の所説、時に臨んで施設して各各同じ...

伝心法要 第三十二

2018-04-3

従前の所有一切の解処尽く須らく併劫して空ならしむべし。更に分別なくんば即ち是れ空如来蔵なり。如来蔵は更に纖塵の有るべき無し。即ち是れ有を破るの法王世間に出現せるなり。亦云く、我然燈仏の所に於いて少法の得べきなしと。此語、祇、汝が情量知解を空ぜんが為なり。但、表裏を銷融し情尽きて都て依執なき、是れ無事の人なり。 従前の所有一切の解処尽く須らく併劫して空ならしむべし。 我々は悟りであるとか、見性であるとか、そういうものを求めて坐っていますが、どうしても頭で考えてしまう。まず第一に考えて判ろうとすることを止めてください。どんな素晴らしい考えであっても、それは考え方にすぎない。頭を空っぽにして何も考え...

伝心法要 第三十一

2018-03-4

今時の人は、祇、多知多解を得んと欲して、広く文義を求むるを呼んで修行と作し、多知多解の翻って壅塞(ようそく)と成ることを知らず。唯、多く児に酥乳を与えて喫せしむることを知って、消と不消と都て総じて知らず。三乗の学道人は皆此れ此様なり。尽く食不消者と名づく。謂わゆる知解は消せずして皆毒薬と為り、尽く生滅の中に向かって取る。真如の中には都て此の事なし。故に云く、我王庫の内に是の如き刀無しと。 今お彼岸中ですから来客が多い。下で音が鳴る。外では車の音がする。横断歩道の音がする。あれを自分が外の音を聞いているという風に考える限り、座禅は埒があきません。皆さんが鳴っています。 自分と世界を分けない。もと...