第一則 趙州狗子

語録提唱

第一則 趙州狗子

2019-10-25

第一則 趙州狗子(くす)
趙州(じょうしゅう)和尚、因(ちな)みに僧問う。狗子に還(かえ)って佛(ぶつ)性(しょう)有りや也(ま)た無しや。州云く無(む)。
   
今日から無門関の本則を提唱したいと思います。
今日は第一則趙州狗子です。趙州の犬です。最初に話の流れを説明致します。
 
ある時趙州に修行僧が質問した。犬にも仏の本質本性はありますか。趙州が答えて、無。
 
無門関、門の無い関門です。出口はおろか入り口もない。そういう壁に突き当たったらどうするか、死がその最大のものです。人はみな死ぬ。
出口も入り口もない高い壁がある。その時は、壁になる。そうすると気がつくと壁を抜けている。
 
これが初関です。古人はこの初関に五年十年とかけた。
この趙州和尚は六十歳まで修行したといわれています。そして八十歳まで行脚問答の旅をして、やっと観音院という寺の住職になり、百二十歳まで弟子を指導なさった。
この中に自分は年を取ったと思っている人、趙州は八十歳まで研鑽している。
 
その趙州にある時修行僧が質問した。犬にも仏の本質本性はありますか。趙州が答えて、無。ある時別の修行僧が同じ質問をした。犬にも仏の本質本性はありますか。その時は有と答えた。
つまり仏性というものは、有るでも無いでもない。ここを、初関をぶち抜くには、体全部で無ーーーとやる。有ーーーとやる。これを朝から晩までやる。飯を食っても無ーーー、便所を使っても無ーーーと。ひたすら成る。そこに少しも隙間がなければ本当のことが判る。空に徹する。
これは虚無ではない。有無の無でもない。ただ、ひたすら無—,無ーーー。これが卓州下の初関です。
 
他にも初関はあります。片手の音。両手を叩いてパンと音がする。片手の音を聞け。この場合は、隻手ーーー、隻手ーーー。
山梨の塩山市に向嶽寺という小さな本山があります。そこにの抜隊得勝は、聞くものは誰ぞーーー、見るものは誰ぞーーー。誰(た)ぞーーー、誰ぞーー。
宇宙大の?に成る。問題がそのまま答えです。趙州は無ーーーと言った。無ーーーと成りきってください。