十牛図 第十

語録提唱

十牛図 第十

2019-07-30

第十 入鄽垂手
 
今日は最後の入鄽垂手です。鄽は町のこと。町に入って人を救う。
 

柴門(さいもん)独り掩(おお)うて、千聖も知らず。
柴の門戸を閉ざしたように、その境地はうかがい知れない。
前回の返本還源で自分の修行は終わりました。今日の処は衆生済度です。
薫習という言葉が有ります。花の香りが人につくように、その人が側にいるだけで、周りの人まで救われてしまう。
爺に逢うては爺相応、婆に逢うては婆相応、子供に逢うては子供相応。対機説法です。子供に仏教を説いても聞いてくれない。子供には子供の目線で接する。
何も難しいことは言わないが、なぜかその人が居るだけで雰囲気が違う。ごく自然に振舞っているが、誰もその境地をうかがい知れない。
 
自己の風光を埋めて、前賢の途轍(とてつ)に負(そむ)く。
自己の体験など、穴にうずめてしまい、祖師方の道からも外れてしまう。
誰かの真似ではない、その人独自の教化。ここでは酒場で大笑いをしています。真面目な祖師の道をあえて踏み外している。逆に山にこもってもいい。良寛さんのように子供と鞠つきやかくれんぼをしてもいい。
 
瓢を堤(ささげ)て市に入り、杖を策(つ)いて家に還る。
酒瓢箪をぶら下げて町に入って来て、酔っ払って、転ばないように杖を突いて家に還る。
この人は、日が暮れると町へ出て、酔っ払って還るだけです。
 
酒肆(しゅし)魚(ぎょ)行(こう)、化して成仏せしむ。
酒場をぶらついて歩き、出会った人を感化する。
しかし、一緒に飲むだけで何か清清しい。何となくいい気持。
 

胸を露(あらわ)にし足を跣(はだし)にして鄽(まち)に入り来る
だらしなく胸をはだけて、裸足で町に入ってきた。
だらしない格好で、しかも裸足で酒場に入る。金襴にも紫衣にも用は無い。秋の蝉のように破れた羽で、破れた服で、自分など振り返らないで鳴きつくす、衆生済度に働く。
 
土を抹し灰を塗って笑い腮(あぎと)に満つ
薄汚れた身なりで大笑いしている。
そんな汚い格好で笑いながら酒を飲んでいる。周りの人たちも気持ちよく、和気藹々と酒を飲んでいる。その人からの薫習です。
 
神仙真の秘訣を用いず
秘術や奇跡など起こさないで、
臨済の師匠の黄檗禅師、以前提唱した伝心法要の黄檗禅師です。禅師が旅の途中で一人の僧に出会った。面白い僧なのでしばらく一緒に旅していたが、ある日、河を渡ろうとすると、その僧は河の上を歩いて渡ったそうです。何だ、外道かと禅師はそこで袂を分かった。仏法に不思議なし。奇跡など必要有りません。
 
直に枯れ木をして花を放って開かしむ
枯木に花を咲かせてしまう。
水を掬すれば月手に在り、花を弄ずれば香衣に満つ。水を掬えばそこに月が映る。花を持てば着ている服にもその香りがする。この水のような、花のような無心の心境、無為の境地。入鄽垂手です。