伝心法要 第三十四

語録提唱

伝心法要 第三十四

2018-04-3

問う、上より来(このかた)、皆な即(そく)心(しん)是仏(ぜぶつ)と云う。未審(いぶかし)、那箇の心に即して是れ仏なる。師云く、汝に幾箇の心か有る。云く、復凡心に即して是れ仏なりと為すや、聖心に即して是れ仏なりや。師云く、汝の何処に凡聖の心ありや。云く、即今三乗の中に凡聖ありと説く、和尚何ぞ無しと言うを得ん。師云く、三乗の中に分明に汝に向かって道う、凡聖の心は是れ妄なり。汝今解せずして返って執して有と為し、空を打って実と作す。豈に是れ妄ならざんや。妄なるが故に心に迷う、汝但、凡情と聖教とを除却せば、心外に更に別仏無し。

問う、上より来、皆な即心是仏と云う。
心がそのまま仏であると。今私の声を聞き、テキストを読み、難しいなと感じているその心。それがそのまま仏です。

未審、那箇の心に即して是れ仏なる。
善い事を思い、悪い事を思い、美しくなり、醜くなる心。そのどれが、どの心が仏なのでしょうか。

汝に幾箇の心か有る。
君にはいくつの心があるんだ。一つだろうと。それどころか、ここで答えている黄檗禅師の心と皆さんの心、これは同じものです。千年の時を隔てて一つです。ここに三十人の心がある。その心に何の差別もありません。この天地以前からこの心はあり、この天地が滅亡してもこの心は滅びない。自分などはるかに離れ、そして自分として働いている。

云く、復凡心に即して是れ仏なりと為すや、聖心に即して是れ仏なりや。
凡夫の心で仏なのか、清らかな心が仏なのか、どちらでしょうか。分別からの質問です。

師云く、汝の何処に凡聖の心ありや。
君のどこに凡だの聖だのの心があるんだ。
心は外に見ている限り凡聖に分かれてしまいます。こう内側から働いている限り凡聖はありません。分別されません。

云く、即今三乗の中に凡聖ありと説く、和尚何ぞ無しと言うを得ん。
お経に凡や聖があると説かれています。あなたは何故ないと言うのですか。

師云く、三乗の中に分明に汝に向かって道う、凡聖の心は是れ妄なり。
そのお経に凡聖の心は是れ妄なりと書かれているではないか。
皆さんの心は凡ですか、聖ですか。綺麗ですか、汚いですか。だいたい有りますか、有りませんか。生きていますか、死んでいますか。そういった相対性、分別に分かれる以前の心。そこです。

汝今解せずして返って執して有と為し、空を打って実と作す。
そこが判らないからこの心を有と考えて、執着している。この空間を叩いても何の音もしない。何か実が有ると思っている。
心を分別、解釈しない。心を外に置いて対象化している限り、いつまでたっても答えは出ません。対象にせず、自分に置いて、成りきって働く。考えずに、成る。

豈に是れ妄ならざんや。妄なるが故に心に迷う、汝但、凡情と聖教とを除却せば、心外に更に別仏無し。
皆さんが凡情と聖教の相対性を離れれば、考えて分かろうとしなければ、心のほかに別の仏などない、心がそのまま仏です。