黄檗山断際禅師 伝心法要 序文

語録提唱

黄檗山断際禅師 伝心法要 序文

2016-04-13

黄檗山断際禅師 伝心法要
河東の裴休(はいきゅう)集め併(あわ)せて序す
大禅師あり、法諱(ほうき)は希運、洪州高安県黄檗山鷲峯の下に住す。乃ち曹渓(そうけい)六祖の嫡孫、百丈の子、西堂の姪なり。独り最上乗を佩(お)びて文字の印を離れ、唯、一心を伝えて更に別法なし、心体亦空にして万縁倶に寂、大日輪の虚空の中に昇って光明照耀、浄にして繊埃(せんあい)なきが如し。此れを証すれば新旧なく深浅なく、此れを説くに義解を立せず、宗主を立てず、戸庸(こよう)を開かず、直下(じきげ)便ち是、念を動ずれば即ち乖(そむ)く、然る後本仏と為す。故に其の言や簡、其の理や直、其の道や峻、其の行や孤なり。四方の学徒山を望んで趨(はし)り、相を見て悟り、往来の海衆常に千余人なり。予、会昌二年、鍾陵に廉(れん)たり、山より迎えて州に至らしめ、龍興寺に憩わしめて、旦夕道を問う。大中二年、宛陵に廉たり、復去って礼し迎えて所部(しょぶ)に至らしめ、開元寺に安居せしめて、旦夕法を受く。退て此れを記すに十が一二を得、佩(お)びて心印と為し、敢えて発揚せず。今、神に入るの精義の未来に聞こえざるを恐れ、遂に此れを出して門下の僧太舟法建に授け、旧山の広唐寺に帰って、長老法衆に往日常に親しく聞きし所と同異如何と問わしむ。
時に唐の大中十二年十月初八日 序す

黄檗山断際禅師 伝心法要 河東の裴休集め併せて序す。
われわれ臨済宗の宗祖臨済義玄禅師の師匠、その方の教えを、後に宰相にまでなった裴休という、皆さんと同じ一般の居士の方です。その裴休が黄檗禅師の法話を聞いて、それを筆にとっておいた。それを出版するにあたって序文を書いた。
大禅師あり、法諱は希運、洪州高安県黄檗山鷲峯の下に住す。乃ち曹渓六祖の嫡孫、百丈の子、西堂の姪なり。
禅師は洪州の高安県黄檗山にいらした。黄檗山の希運禅師ということで、黄檗希運禅師。師は達磨大師から数えて六代目にあたる、六祖慧能禅師の嫡孫である。六祖慧能の法は、南嶽懐譲、馬祖道一、百丈懐海と流れて黄檗希運に続きます。その百丈懐海禅師の法を継いでいらっしゃる。西堂というのは、百丈懐海禅師の兄弟弟子です。ですから西堂の姪なりと。
独り最上乗を佩びて文字の印を離れ、唯一心を伝えて更に別法なし。
その教えは文字の印を離れるとあります。このあたりから序文ですが、伝心法要の内容の大切なところを説いています。禅師のお話は、文字にとらわれていない。達磨大師が南インドからお釈迦様の法を中国に伝えてきた時の旗印、不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏。そこには言葉は届かない。ですから教えのほかに別の伝わり方をしている。直に人の心を指さして、そして成仏に、悟りに導く。
その旗印の通り、黄檗希運禅師の法は、文字の印を離れただ一心を伝えて更に別法なし。心、直指人心です。人の心を指さして悟らせる。他には何も伝えているものはない。ただ心を伝えている。この心。伝心法要という題名のとおり心を伝える教えの要。
さて、この心というものは、いったいどういうものか。私たちがあれこれ考えている、これも心。しかし黄檗禅師のいう心はもっと大きい。父母未生以前本来の面目、私たちの両親がまだ生まれる前、その時から、この心はこうあります。霊魂とか、そんなつまらない話ではありません。生まれ変わり死に変わりとか、そんなつまらない話ではありません。
この世の始まりから終わりまで、何一つ変わらないもの、それが心です。そして、それは過去に求めるものではなく、未来に求めるものでもない。今ここに働いています。今こう私の声を聞いているそれ、それです。この心というもの、これだけです。ここに気づけば仏教は卒業です。唯一心を伝えて更に別法なし、他には何にもない。
心体亦空にして万縁倶に寂、
その心といっても、何かがあるわけではない。それは空なんだと。万縁というのは、この宇宙全部ととっていただいて結構です。
この心も空寂であり、この宇宙もまた空寂である。何もないものと、何もないものが、何もないままに、こうあります。
大日輪の虚空の中に昇って光明照耀、浄にして繊埃なきが如し。
ちょうどお陽さんが、虚空のなかを昇り、光輝いて、その清らかさの中には、ほこり一つないようなものである。主観も客観世界もともにない。
此れを証すれば新旧なく深浅なく、
ちょっとこちらを見てください。こう手を上げれば、みなさんそうなります。この手はここにあるわけじゃない、皆さんのところにある。私が手をたたけば皆さんが鳴る。否応なしにこうなる。何もないものと、何もないものが一体になる。自他一如です。そして何の跡形も無い。
此れを証すれば新旧なく深浅なく、
今日7人の初心の方がいらした。またここには十年以上坐禅を組んでいる人、二十年坐禅を組んでいる方もいらっしゃる。しかし、私のこの声は初心者にも旧参の方にも誰にでも聞こえる。
坐禅の境涯が深い方もいらっしゃる、まだまだ坐禅っていったい何なんだろうと分かっていない方もいらっしゃる。しかし、そんなところに坐禅の本質はありません。
どれだけ修業した人でも、今日初めて坐禅を組んだ人でも、私の声が聞こえる。見えるし、聞こえます。
ここです。この修行以前、生まれながらのところに眼をつけてください。坐禅、仏教というのは、何か尊いもの、立派なもの、それを悟るということではありません、皆さんはすでに悟っています。救われた後の姿です。ただそこに気が付かない。皆ここで悩んでいる。それは、この心が思い以前のものだからです。思い以前を思いで捕らえようとしている。
白隠禅師は、衆生本来仏なりと、我々はもう仏であるとおっしゃっている。皆ここで悩む。すべての祖師方は、学問してああ自分は仏なんだ、もうすでに救われているんだということは分かっている、じゃあなんで自分は苦しいんだ、なんで自分はこう迷っているんだ。ここの解決です。そのために坐禅を組む、むやみに組んでも仕方がない。急所があります。それを学び取っていただきたい。
今皆さんが、ぶつかっている、すでに悟っているんならなんで自分は不安なんだ。救われているのになんで自分は悲しいんだ。なんで自分は苦しいんだ。これは、われわれの人生の最後の問題です。最も大切な問題です。そこに皆さんは、今ぶつかっている。
気が付くといっぺんに楽になります。楽になったとしても、痛いものは痛い、死ぬときは死ぬ。ただ、その前と後では全く違います。全く違うけれどもその本質は何一つ変わらない。お釈迦さまも達磨さまもわれわれ凡夫も、何一つ変わらない。そこのところに向かって、唯その一点に向かって学ぶ。
此れを説くに義解を立せず、
やたら難しいことを書いている仏教学者がいます。何の役にも立ちません。黄檗希運禅師、理屈やつまらん解釈、見解、そんなものは全く立てない。
宗主を立てず、
達磨さんからこう法が伝えられ、なんてことも言わない。
戸庸を開かず、
漢字がないので、この字を当ててあります。これという教義も持たない。これという宗派を開宗しようということもない。扉を開かない。次が一番大切なところです。伝心法要全てを通して、これさえわかればそれでいい。
直下便ち是、念を動ずれば即ち乖く、
このままがすなわちそれである。それがそれだ。え?というような念が少しでも動いてしまえば、真理から遠ざかってしまう。
これがすなわちこれ。それがすなわちそれ。今私の声が聞こえている、それがそのままそれです。今テキストが見えている、これがそのままこれです。ちらっとでも思いが動いてしまえば、ずれてしまう。一番大切なところです。これから似たような言葉が、毎回出てきます。
何かをこれから修業して、何か立派なものを自分の身にいれて、心に入れて、悟りを開くわけではありません。もうすでに皆さんはそうあります。外に何も求めない。内側にも何も求めない。聞こえてるでしょう。これはみなさんの外ですか、内ですか?こう見えている。これはみなさんの外ですか、内ですか?
ただこう現成している。ア、といえばアになり、イ、といえばイになり、もう何もない。あったりなかったり。コロコロコローッと。常に今、ここ、自分のことです。
今、ここ、自分。われわれは、今を一瞬たりとも離れることはできない。時間があるように思える。しかし、ちょっと坐禅を組んでみれば、時間なんて言うものはどこにもないということが分かります。理屈を言えば、絶対の現在。
今がこう流れています。われわれは今以外にいるところがない。そしてその今というのは、どこにもない。留まらない。流れています。今しかないけれども、その今が流れているから掴めない。掴めないし、認識も出来ない。だから成り切るしかない。
そしてここです。ここの様子。今ここの様子。そして外ではなくて、自分の様子。私の声を聴いている、私がしゃべっている。ぴたっと止まったものが流れている。今が流れている。これが本来の無常です。どこにも留まらない。それを皆さんが皆さんのそこで、こう聞いている。これだけです。これが仏教です。何を下らんことをとお思いかもしれませんが、ここが分かれば、三昧の深いところに入って、すべてが分かる。
直下便ち是、念を動ずれば即ち乖く、思いがなければそのものです。皆さんの思いがなければそのもの。ここはいくらでも話したいところですが。
然る後本仏と為す。
それがそのままそれである。それを思いなくそのまま素直に受け取る。アー、何の意味もありません。それをそのまま受け取って、何の思いも働かさない。そうすると、仏がすっとこの身に現れる。然る後本仏と為す。
故に其の言や簡、
簡潔であると。
其の理や直、
直接である。
其の道や峻、
峻厳である。
其の行や孤なり。
孤高である。
四方の学徒山を望んで趨り、相を見て悟り、往来の海衆常に千余人なり。
四方あちこちから修行僧が集まり。黄檗禅師のお姿を見て、それだけで悟り、その会下にいる修行僧は常に千人を超えていた。
予、会昌二年、鍾陵に廉たり、山より迎えて州に至らしめ、龍興寺に憩わしめて、旦夕道を問う。
私裴休は、会昌二年、西暦でいうと八四二年、鐘陵の観察史に任ぜられた。その時黄檗山より希運禅師を迎えて、龍興寺の住職をしていただいた。そして、朝夕いろいろなお話を伺ったと。
大中二年、宛陵に廉たり、復去って礼し迎えて所部に至らしめ、開元寺に安居せしめて、旦夕法を受く。
大中二年、八四八年、その後宛陵というところに移った。そこでまた開元寺にお住まいいただいて、旦夕法を受く。
退て此れを記すに十が一二を得、佩びて心印と為し、敢えて発揚せず。
そして聞いた教えを、家に帰ってから書き写してきた。十聞いたうち一つか二つは、その真を得たであろう。そしてこれを心の寄る辺と為してきたが、誰にも自分の手控えを見せることはなかった。 
今、神に入るの精義の未来に聞こえざるを恐れ、遂に此れを出して門下の僧太舟法建に授け、旧山の広唐寺に帰って、長老法衆に往日常に親しく聞きし所と同異如何と問わしむ。
ただ、黄檗禅師も亡くなられてしまった。いまその神に入るの精義、もうこれさえわかればという、その禅の端的、悟りの端的が未来に続かないことを恐れて、ついにこの手控えを出して、黄檗禅師の弟子である、太舟と法建に授けた。そして、黄檗山の長老や様々な修行僧たちが常々親しく聞いた教えと、私の手控えとが同じかどうか、私に間違えがないかどうかを確かめさせた。未来の仏法のためにこの伝心法要を世に広めようと。
時に唐の大中十二年十月初八日 序す
今日はまあせっかくですから序文もお話ししましたが、この序文だけでも大変なものです。特にこの、直下すなわち是、念を動ずれば即ちそむく、この一点です。
ここのところを道元禅師は、心意識の運転を止め、念想観の識量を止めて作仏を図る事なかれと。われわれの意識の働きを止め、あれこれ理屈に走り、概念に走り、そういったことを止めて、仏になろうとするな。悟ろうとするな。ただそれだけでいいんです。そのままと言われても、どうすればいいんだろうと、皆さん思われるかもしれませんが。どうもしない。
これが急所です。坐禅の急所は何もしないことです。座禅中のあれやこれやの思いに手出しをしない。日常生活、あわただしくあれをやりこれをやり、あれを考え、これを考え、こんなことやってたら修業にならんじゃないかと思うかもしれませんが、そのまま行く。あれやこれや、あれやこれや、あれやこれや。
そこに、自分の計らいを入れない。念、意識、計らい、そういったもので己を振り返らない。あーどうしたもんかなー、仕事失敗してしもうたなー、取り返しがつかんかなー、と真っ直ぐ行く。あーこんな病気になってしもうたー、何年もつかなー、家族のことこれからどうしようかなー、と、真っ直ぐそのまま行く。自分の思いを観察したり振り返ったりしない。念を動かさない。念を放り投げてしまう。
なかなか分からないかもしれません。ここは分かれないところです。だから念を動かさずに成る。どこに目をつけたら三昧に入れるか。私の言う通りにやってみてください。
真っ直ぐこのまんま、ずーっとやっていくと、分からなくなります。三昧に入ります。自分も分からなければ世界も分からない。自分もなければ世界もない。何も無い、無いということも無い。そういう三昧に入ります。そうか、と気づきます。
皆さんはすでに三昧に入ったことは何遍もある。ただそこで気づきがなかっただけ。まずは大三昧を発得する。大三昧を発得して、何かの縁に触れて、そうかと気づく。